癒し〜創造・共同創造〜祝福

欠乏感や無価値観、罪悪感などをもとに、
制限や問題を設け、解放していく「癒し」の時代は終焉をむかえ、

無条件の愛と受容…あるがままの基盤から、
よろこびの溢れるままに表現し「創造」する時代、

そして、それぞれのよろこびが響きあい、
全体として、さらなる可能性をひらいていく

「共同創造」の時代がやってきています🌏

(その無限の可能性にひらかれた、創造性の発揮こそが、真の癒しだともいえます。
そういう意味では、癒しに終わりはありません。)

 

 

 

そして、そんな「時代の変遷」のストーリーなど越え、
過去も未来も…すべての時・すべての空間を越え、包括して、

変わらずに、「存在」の表現、「祝福」「恩寵」はありますひかり

 

わたし自身についても、

Blessinger(祝福する者、祝福を歌う者、祝福を生きる者)という
表現、在り方・生き方は、

 

自分が何ものであるかをすっかり見失い、闇の中にあったすべての過去にも、
そして、今なお、日々の「ドラマ」や人生の「ストーリー」の中を生きている時にも、
時を越え、変わらずあり続けていますひかり

 

 

 

全体(宇宙・いのち)であるわたしと、

スピリット・魂のわたしと、

身体や心・自我のわたし、
(それは、切り離されたものではなく、様々なあらゆるわたしの結晶化でもあり、
時空を越え、全体でもありました。)

それらすべてが交わり重なりあう、中心点に、

 

「いのちを祝福する」
「いのちの美しさを…存在の至福と、創造の歓喜を讃える」
Blessingerという在り方・生き方があり、

その表現方法として、「音」そして「音楽」を楽しんでいますハート

 

 

振り返れば、(やめている時ですら)ずっと音楽が共にあった人生だったけど、

音楽を握りしめたくはないし、いつでもやめられるわたしでいたい。

 

そして、その自由のもと、創造するよろこびとともに、音が溢れてくるならば、

ただ、そのまま、音が流れるのにまかせ、純粋に、音そのものであろう。

 

何ものでもないわたしが、ただ、好きでそうしたいから、

歌い、奏で、表現し、創造し、祝福していく。

 

 

わたしの全部で、存分に楽しんで、音祝いでいきます✨

 

 

 

※2016/07/06のアメブロ記事を編集し、再掲しています。